指導学生との研究活動に関する共有事項
本年度の指導学生の担当も決まりました。
今年も4年生2人を担当することになりました。
今年は、研究方針を私と学生で共有するところからスタートしました。
ワクワクするような研究が、学生と一緒にできればなと思っています。
【研究に臨む上でのスタンス】
・卒業,修士研究は学生自身の研究であり,教員の研究ではない(アドバイザーである)。自発的に研究活動に取り組み,教員を最大限活用すること。
・成果も失敗も,大小関わらず,こまめに報告・連絡・相談を行うこと。
・血税も使って研究活動していることを理解し,成果を世の中に成果を還元することも念頭に,真摯にかつ誠実に研究活動に取り組むこと。
・指導教員との研究打ち合わせ以外にも,知識や見分を広める機会に積極的に参加すること。(研究室ゼミ,勉強会,学外のイベント,他の学生との日常的な議論等)
【具体的な研究の進め方】
・週1回程度以上の頻度で研究打ち合わせを行う。(打ち合わせは月曜日午後を基本とするが,適宜話し合って決める)分からない時は放置せず,すぐに確認すること。
・「次の打ち合わせまでの目標」(毎回の打ち合わせ最後に確認)を学生と教員双方で確認する。(中長期的な目標は適宜確認する)
・ゼミは自身の研究を進めるために最大限有効に活用すること。そのために,事前によく教員と相談して臨むこと。
・研究ノートを1冊作成し,研究打ち合わせでの議論や実験などの記録を詳細に残すこと。
・打ち合わせはPCなども有効に活用すること(印刷資料は基本不要)。
【研究を上手に進めるコツ】
・研究の目的を理解しているか、常に考え続ける意識を持つ。(研究発表や論文タイトルに直結します)
・研究の目的を理解した上で,どのような手段でアプローチするかを適切に説明できるか確認する。
・研究を進めるための手段を身に付けているか。身に付けるための努力を適切に行っているか。手段の元となる基礎知識を有しているか。
・研究を進める上で必要な文献収集,情報収集,勉強を適切に行っているか。得た知見を指導教員に報告しているか。
・指導教員と合意の上での研究とは別に,個人としての自由な研究活動はいとわない。
【その他】
・適度なストレスと,適切な息抜きが必要である。
今年度の研究方針
気づけばあっという間に5月となりました。
GWの真っただ中ですが、昨日、本日と学外から多くのゲストが来校されました。
あわただしい2日間となりましたが、滞りなく終わってホッとしました。
さて、今年度の学生の研究テーマが決まりつつあります。
今年は私のすべての研究テーマで
(1)解析的研究
(2)室内(要素)実験
(3)(学外の人たちと連携して)構造物で計測
を組み込んでいきたいと思っています。
(1)について
昨年度、前川先生の研究の進め方を見ていて、
解析をうまく(特に研究序盤に)活用されているに気づきました。
文献等の調査(勉強)と解析的検討をうまく絡め繰り返すことで、
室内実験のパラメータを決めたり、明らかにしたい現象(挙動)の感覚をつかんだりというように活用されていました。
当然ですが、解析の中身(理論的背景)をしっかりと理解していることが前提となります。
結果、終盤に出てくる解析結果は非常に迫力のあるものになりました。
これは私の中で一つ新たなチャレンジです。
(2)について
ここ数年の経験で、それなりに自信をもって進められているところです。
もっと精緻な実験をしていかなければいけないなと今年は思っています。
(3)について
私がやりたい実構造物を絡めた研究。
実物(現実)ではどうなんだということを調べ、
(1)や(2)を考察したり、逆に(1)(2)を活用したいと思っています。
実構造物を絡めるとやはり結果に迫力が出るかと思います。
上記3つを仮に1年間(学部4年生向け)にやるというのは、
学生にとって相当大変だと想像します。
(私が4年生の時は(2)だけで精一杯でした)
ただ、学生を作業員のように使っては絶対ダメ。
学生が早く研究テーマを自分のものとし、能動的に取り組んでもらえるよう、
苦労と成功体験をうまく積み重ねさせ、研究を通して、彼らの成長を促せればと思います。
上記3つは、今の土木的研究の主流だと認識しています。
教員5年目の節目に、「どれもある程度はできる」という感覚(自信)を得たいと思います。
新年度の教育方針の表明
4年生6名の配属が決まり、今年度がスタートしました。
教職員・学生合わせて32名という、私の知りうる限り過去最多人数です。
内ドクター6名、留学生10名というのも過去例を見ない規模だと思います。
前川先生も今年度から横浜国大に完全移籍となりました。
これだけ陣容が強力化しているわけですから、「私がやるべきこと」「学生(ドクターの学生等)に任せた方がよいこと」を区別し、
組織が中長期的に成長するよう意識して行動したいと思います。
(歓迎会でも話をしましたが、「一つ上の立場での行動」するってことですね)
話は変わって、大学入学から14年目にして、キャンパス内の森に初めて入りました。
横浜とは思えない自然の生き生きとした光景に、思わずシャッターを切ってしましました。
(実は、これが本来の横浜の自然な姿なのだそうです)
(学部1年生のキャンパスツアーにて撮影)
年々、学生と私の年齢が離れるにつれて、研究の議論が一方的になる機会が増えてきていることが、少し気になっていました。
工学部キャンパスのシンボルである「名教自然」の碑で謳われていることとも通じるところがありますが、
学生のポテンシャルを引き出し、人生の強い幹を築くきっかけとなるような、自覚、自由啓発の精神を持った人を育てる教育を、今一度行っていきたいと思いました。
<以下、備忘録>
教員として5年目に入り、また少しずつ自分自身の成長が感じられる場面が出てきました。
・科研採択
念願だった、科研によーやく通りました。
時間がかかってしまいましたが、自分が立ち上げた研究テーマが、ある一定の評価を受けたという証かと思います。
研究が下手な人間ですので、ゆっくりでも着実に、成長し前進していけるよう、粘り強く続けたいと思います。
・地元自治体の指針作りのアドバイザー
これも念願だった、私が主担当で自治体との連携が始まります。
しかも、普段からお世話になっている大学のお膝元の自治体です。
あるコンクリート構造物群の補修補強の指針作りのお手伝いです。
コンクリート構造物の最新技術に関する技術交流会
今回で何回目の参加になるでしょうか。
東大一門の先生方とJR東の技術者によるコンクリート構造物の技術に関する交流会に今年も参加してきました。
東大一門ではない私ですが、僭越ながら今年も発表させていただく機会を与えていただきました。
この交流会での発表は、一年で一番緊張する場です。
鉄道事業者の方の前での発表ということでしたが、私が今一番興味をもっている道路橋のこと(舗装・防水層・コンクリート床版のこと)についてお話しました。
個人的には、面白い内容であると思ってお話したのですが、聴衆の反応はイマイチでした。
・そもそも、内容的に鉄道にそぐわないということ
・実験もなかなか難しく、白黒はっきりさせるような状況までもっていききれていなかったこと
などが影響しているのかなと分析しています。
同世代から上の先生方が今何に興味を持ち、研究されているのかというのをまとめてきけるという意味でも、この機会は非常に意味が大きいと考え、なるべく毎年参加するようにしています。
やはり、まだまだ自分はいろいろ力不足で、自分らしさをもっと前面に出した研究を展開していかないといけないなと改めて思う機会になりました。
怒涛の2月終了(教員5年目始動)
怒涛の2月が終わりました。いよいよ教員5年目がスタートです。
(先月間違って書いてしましましたが、本日が本当に5年目スタートです)
昨年も同じようなことを思ったのですが、1年前に今の自分の状況を想像できたかと聞かれると、返事はNoです。
それくらい、いろいろなことが目まぐるしく変化しています。
私個人、家族、仕事すべてです。
不安がないと言ったら嘘になりますが、変化に対応して今があるとポジティブにとらえたいと思います。
卒論審査会(2/27)が終わった直後なので、研究(特に卒論指導)に関して思い返してみたいと思います。
研究は分からないことにチャレンジしていく、不確定要素の多い仕事です。
そのなかで、毎年、個性の違う学生とうまく対話しながら研究を進める必要があります。
彼らを励まし、叱咤し、周囲の助けを借りたり。。。
いろいろありましたが、研究指導に関しての自己評価(学生ではありません)は及第点かなと思います。
それなりに確固たる自信も得つつ、課題も感じているといった感じです。
近々の課題はの1つは留学生の指導。彼の指導はあと半年ほど残っています。
彼とのチャレンジには、これまでとは違う、いろいろな意味が含まれています。
もう1つは、絶対的にインプットが足りていない。
これは抜本的に状況(自分の姿勢や研究スタイル)を変える努力をしないとダメ。
また1年後、今の自分では想像できないような展開になるよう、
こうしてメモを残し、自分自身を戒めて、新年度を迎える準備をしたいと思います。
実験の質
昔からよく言われていたことで、最近その意味が少しずつですが理解できるようになってきたことを、今の私の言葉でまとめてみます。
「コンクリートは正直な材料。コンクリート特有の現象も人間の至らなさも、すべて結果に表れる」
コンクリートは誰でも比較的簡単に作れる材料です。だからコンクリートをつくる人の力量不足も多分に結果に反映されやすい材料です。
そういう意味で、学生に実験をまかせっきりというのは極めて危険と言えます。
ある人は「学生は一切信用していない。試験体づくりは教員が主導して、学生はその補助をさせる」と言っていました。
ある人は「実験結果を見て、自分の感覚と違っていたら、試験体がきれいかどうかを見る」と言っていました。
やり方はいろいろあるかと思いますが、どこかで試験体の質を担保しないといけません。
「コンクリートのことが分からないのは、コンクリートの声を聞けていないから」
昨日、共同研究先まで学生の試験体をトラックで運び(片道3時間!)、その場で試験体をカットをしました。
ところが、カットし始めて早々異変に気付き、実験ストップ!実験を延期させました。
実験を始める前の段階で想定外のことが起こったので、見方によっては失敗ですが、これもコンクリートの正直な反応です。
コンクリートの声に耳を傾け、正確な(と思われる)ジャッジを下すのは学生ではなかなか難しい。
教員の大事な役割です。
偉そうなことを書いていますが、これら実験の質を十分保てているかと問われると、
胸を張ってYESといえる状況では残念ながらありません。
研究を続ける限り、状況に応じて、実験の質を確保する努力をしづづけなければいけないと思っています。
大学時代にしてほしいこと
とある学生から、
「どうしたよいかわからない。何ができるのか教えてほしい」という要望を受ける機会がありました。
私が彼にした回答を備忘録として書き留めておきたいと思います。
(話している相手が特定されないよう、少し文章を修正しました)
私の周囲では、なるべくいろいろな場面で、以下のようなシチュエーションを構築していきたいと思っています。
何ができるかと手段から入るのではなく、何をするのか(したいのか)、構成員と議論し、行動することに意味があると思います(頭でっかちでもダメで)。その積み重ねで、自然と組織全体が良くなっていくと思っています。
考えなしに言われたことに従う思考停止が一番良くない。そのような人は、将来コンピューターに仕事を奪われる。バイトと一緒と思います。横浜国大生くらい基礎能力がある人が、それは悲しいです。あえて目標を漠然と定めている意味はそこにあります。
極論をいうと、精一杯やった結果失敗してもよいと思っています。なぜなら、それは失敗ではなく成功だからです。当然ですが、やり抜かずに失敗したら、労力に対して得られるものは少なくなります。
とはいえ、学生だけだと視野が狭くなってしまうのはわかるので、目標を達成するための手段を提案し、準備するのは私のような教員の役目と思っています。