Take it easy 第四章 ~研究・教育人生:序論~

憧れだった大学教員として歩み始めました。研究者・教育者として、己の在り方を日々模索しながら、向上心をもって過ごそうと思います。

教師(人間)の特性

昨晩は義弟君が第一志望の大学に合格したという吉報をもらいました。

その後、妻と夕飯を食べながら、日本の英語教育について議論しました。

(注:いたって日常的な我が家の団欒風景です)

 

<エピソード1>

妻「なぜ、日本の英語教育は現在進行形と現在分詞は分けて考えるの?」

私「だって、現在進行形は『今○○している』で形容詞的な用法だし、現在分詞は『○○な状態で~』と副詞的な付帯状況を表すからでしょ」

妻『どっちも今おこっているじゃん』

私『・・・』

 

<エピソード2>

妻「高校の英語の教師でも定冠詞(The)の付け方おかしいんだよねぇ」

私「私の場合、前の文に出てきたり、唯一無二の存在的のような場合にTheをつけると習ったんだよねぇ」

妻「私のTheのイメージは論者と読者が同一と認識できればTheって感じかなあ…。うまく説明できないけど。」

 

※英語に限らず、学生のしつけや、生産性のない仕事への対処法など話題は約1時間続いた・・・。

 

話の結論として、教員も人間なので「自分が経験し、良いと実感したこと」からしか学生たちに教育できないということでした。

そのことをわかったうえで、積極的に経験値や視野を広げようと努力するか否かで教師としての力量が変わるということでした。

 

当たり前と言えば当たり前ですが、その当たり前ができない教員が多いんだなと思いました。(社会的に閉鎖的になりやすいのが教員という職業の特徴というだけで、社会人全般に当てはまることだと思う)

 

当たり前のことを当たり前にやろう。