Take it easy 第四章 ~研究・教育人生:序論~

憧れだった大学教員として歩み始めました。研究者・教育者として、己の在り方を日々模索しながら、向上心をもって過ごそうと思います。

先に生まれただけの僕

最近、土曜日に放映中の「先に生まれただけの僕櫻井翔主演)」という教師もののドラマを見るのが夫婦の1週間の楽しみの一つになっています。

久しぶりにちゃんとドラマを見ています。

内容はさておき、このタイトルは好きです。

  

突如として話は大きく変わりますが(笑)、

昨日、作家の高崎哲郎先生と都内のカフェで1時間ほど、お話しさせていただきました。

土木史の講義(担当:細田先生)をきっかけとして、私も何度かお話しするようになり、このような機会に恵まれました。

私が横浜出身の教員であるということで、横浜にゆかりのある土木技術者、安芸皎一について伝えたいと、高崎先生からおっしゃっていただき、昨日に至りました。

本人の人物像や周囲の人たちについて、取材時のエピソードも交えてお話しいただきました。

  

廣井勇、青山士、宮本武之輔らは知っていましたが、安芸皎一についてはほとんど知識がありませんでした。

高崎先生から、ご自身の著書である「月光は大河に映えて」をいただき、昨日から読み始めました。

お三方に負けず劣らず、技術者として、人間として、非常に尊敬できる人物でした。

横浜にゆかりがあるということで、少し親近感が沸きます。

  

一部の人を除き、多くの人は偉人について何かを見聞きすると「彼は偉人だから」と、「尊敬できる、こんな人間になりたい」と書いていたり言っていたりしても、

どこか心の隅で、彼らを直視していないように思います。

歴史が好きになれないという理由の一つにもなっているように思います。

  

しかし、大学教員(土木技術者、教育者)という仕事を生業としていると、

「果たして私はこれでよいのか」と、自問するときがあります。

土木技術者、教育者は人に与える影響が計り知れないということを、時折感じるからです。

理由はいくつか考えられますが、このように感じる機会が多くなっているように思います。

  

どうしたらよいか。。。(昨日の風呂の中)

  

よくよく考えてみると、

彼らは決して、土木技術者、教育者として大成しようと思って生きていたわけではないと思います。

(たぶん、そういう心持ちの人は土木の分野で大成しない)

後世の人間が彼らの生き様や功績に感銘を受けたからこそ、人生の一部分が切り取られ、偉人のように紹介されているのだと思います。

彼らは偉人として紹介されることは望んでいないのだと思います。

勝手に我々がバイアスをかけて見ているだけなのだと思います。

  

私の周りにも、尊敬できる人はたくさんいます。家族、恩師、友人等です。

いろいろな方面(仕事、趣味、人間性など)で、こうなりたいと思う人も何人かいます。

しかし、彼らを偉人と思ったことはありません。

でも、もしかしたら、(極端かもしれませんが)100年後には彼らが偉人になっているかもしれません。

 

土木技術者として、教育者として、どうあるべきなのか(自分はどうありたいのか)ということを素直に先輩たちから学び受け入れる。

そこには、多くの人の場合、自分と彼らとの間に接点や親近感(=先に生まれただけ)を持つことが一つ重要ではないかという気がしました。

あとは、目の前の課題に対して、自分が信じる姿勢で取り組むことで十分なのではないだろうかと今は思っています。