実験の質
昔からよく言われていたことで、最近その意味が少しずつですが理解できるようになってきたことを、今の私の言葉でまとめてみます。
「コンクリートは正直な材料。コンクリート特有の現象も人間の至らなさも、すべて結果に表れる」
コンクリートは誰でも比較的簡単に作れる材料です。だからコンクリートをつくる人の力量不足も多分に結果に反映されやすい材料です。
そういう意味で、学生に実験をまかせっきりというのは極めて危険と言えます。
ある人は「学生は一切信用していない。試験体づくりは教員が主導して、学生はその補助をさせる」と言っていました。
ある人は「実験結果を見て、自分の感覚と違っていたら、試験体がきれいかどうかを見る」と言っていました。
やり方はいろいろあるかと思いますが、どこかで試験体の質を担保しないといけません。
「コンクリートのことが分からないのは、コンクリートの声を聞けていないから」
昨日、共同研究先まで学生の試験体をトラックで運び(片道3時間!)、その場で試験体をカットをしました。
ところが、カットし始めて早々異変に気付き、実験ストップ!実験を延期させました。
実験を始める前の段階で想定外のことが起こったので、見方によっては失敗ですが、これもコンクリートの正直な反応です。
コンクリートの声に耳を傾け、正確な(と思われる)ジャッジを下すのは学生ではなかなか難しい。
教員の大事な役割です。
偉そうなことを書いていますが、これら実験の質を十分保てているかと問われると、
胸を張ってYESといえる状況では残念ながらありません。
研究を続ける限り、状況に応じて、実験の質を確保する努力をしづづけなければいけないと思っています。